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青と白の日々

日々のこと

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2026年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

生成AIと書くこと
生成AIと書くこと

最近書くことができない。紙の日記もnoteもsizumeも。個人サイトの更新もしばらくできていないな。Cosenseだけ、できるだけ書くようにしている。

書けないことに悩んでいるわけでもないものの、書けてないというのは気にかかっている。私にとって書くことは、内にこもっているものを外に出すことでもある気がして。

少し前まで読書熱が高まっていて、たくさん本を買って読んだ。その反動か、先日は旅先で本屋に3軒も寄ったのに、結局1冊も本を買わなかった。今はいいかなと感じたのだ。お腹がいっぱいという感覚。

これだけ本を読んだら、その本のことでなくてもいいから何か書かないと、身の内で言葉や考えが膨らんでいっぱいいっぱいになる気がする。だから書きたいのに、どうしてか書けない。

と書いているうちに、300文字ぐらい書けた。原稿用紙1枚弱。子どものころは原稿用紙1枚分の文章は長いと感じたけれど、今こうやって文字を打ちながら眺めると、短く感じるのが面白い。

生成AIを使って書いた文章を目にすることが増えてきた。「この文章は生成AIを使っています」「生成AIが書きました」と明示してあることはまれだから、本当にその文章がそうなのかは実際のところ分からないのだけれど、読み始めてすぐに、これはAIだなと感じてしまう。

私が読みたいのはAIの書いた文章ではなくて、人が書いた文章だ。それは別にAIを一切使ってほしくないというわけではなくて、書く過程でAIも活用していますと明示している文章の中には、その人の温度を感じることも多い。

一方で、AIにまとめてもらった文章やAIがほとんどの部分を書いた文章は、どこか空虚に感じるところがある。手触りがない。その文章を、その人の言葉を掴もうとするのに、その手が宙を掴むようなそんな感じ。

それっぽい文章を読みたいわけではなくて、大げさに言うならその人が生きている、生活していることを文章を通して知りたいのだ。

メールを打つ際もAIに文章を書いてもらうこともあるらしい。実際、これは人ではなくてAIだなと感じるメールも時々目にするようになった。普通のビジネスメールだって、AIに頼ることもあると知った。

もしかしたらもうそれが普通のことになりつつあるのだろうか。LINEにだってそんなボタンがあった気がする(恐ろしくなってどんなものかを見る前に、表示されないようにした)。

文章、言葉というコミュニケーションの手段、何かを伝えるための手段にさえ、AIが入ってくる。人と人とが意思疎通を行う、交流する、それさえ生身の人間同士ではできないというのか。いつしか人が不要になりそうで、私には怖い。AIとAIが人の代理で意思疎通を行うようなそんな世界。

伝えるという試みを、他人ですらない、AIというモノに頼ること。もしかしたらいつしか、そうした方が間違うことも、恥をかくことも無くなるのかもしれない。

でも、それは言葉を、人と向き合うことを放棄することとそう変わらないと、私は思う。

エッセイ

2026年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

本屋さんをはしごした日
本屋さんをはしごした日

少し前の天気の良い日。ある街に本を買いに出かけた。

その街には比較的大きな書店といくつかの小さな本屋がある。その日の目的地は大きな書店と一つの小さな本屋さんだった。

久しぶりに入った書店は、何だろう、少し雰囲気が変わっていた。前に訪れた時も面白い本がたくさんあるなと思ったけれど、今回は前よりも更に面白かった。いつか読みたいと思っていた本を見つけたり、もっと大きな書店に行かないとないかなと思っていた本が棚に並んでいたり。棚を歩いていて、エネルギーをもらえるような、そんな場所に感じた。
そう言えばそこで働いている人が、何かのラジオにゲストとして出演しているのを、少し前に聴いたんだった。こんなに面白い経験をしている人がそこで働いているんだと驚いたのを思い出した。
この後別の本屋さんに行くというのに、大きな本も含めて数冊の本を買った。
本は見つけた時に買うのが鉄則だからね。

続いて、その書店から少し歩いたところにある小さな個人経営の本屋に立ち寄る。
うっかり見落としそうなくらい小さな入り口から静かに中に入る。
その日は、主の方は大変忙しそうだったけれど、出直すにも少々距離があるのでそのまま見て回る。その地域を毎日のように回っているのであろう宅配の方と、集荷の話をしていたのが興味深かった。
「○○と△△あたりをまわるので、その後○時頃にまた来ますね」と言った感じで、その地域でお店を営んでいる人と、その物流を支えている会社の人との、人と人とのつながりを知った。
ここでもピンときた本があって、数冊の本を購入した。
帰り際、店主の方に「気を付けて帰ってね」と声を掛けられた。何気ない声掛けだけれど、なんだか嬉しかった。

重くなったマイバッグを肩に下げて、ゆっくりゆっくりと帰宅。今度からリュックを背負って来てもいいかもしれない。
重かった心が少しだけ明るくなった、そんな日だった。

日記,エッセイ

2026年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

同窓会
同窓会
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日記,エッセイ

朝靄
朝靄

早朝に電車に乗った日。

雲の隙間から太陽が見え隠れしている。

ぼんやりと外を眺めると、窓の外の町並みはゆったりと朝靄に包まれていた。町はきっと、ちょうど目が覚めてきた頃。

普段は見ることのない景色を眺めて過ごす。私の街も、あんな風に朝靄に包まれているのだろうか。

昔、冬の朝に時々深い霧に包まれたことを思い出す。ある時は霧の中からバスがやって来て、またある時は霧の中、母に車で送ってもらった。その非日常に心を躍らせたのを覚えている。

今はもうきっと、あの場所も滅多に、あれほど深い霧に包まれることはないだろう。

あの景色が、今はただ懐かしい。

2025/11/15「朝靄」しずかなインターネットより

日記,エッセイ

移動の日
移動の日

移動の日。列車に揺られながらぼんやりと外を眺めていた。

乗り物に酔いやすいので、列車に乗ったらすることがない。何もせず、ただ外の景色を眺めていたら、頭がすっきりとしてきて、重かった心もほんの少し軽くなった。

夕方から夜へと移り変わる空は大層美しくて、生きていてよかったと思った。そして夜になった。列車から見た夜の世界は思っていたよりもずっと暗くて、恐ろしかった。となりのトトロを思い出した。あの映画の夜の場面も怖かった。でもきっとそれが私の生きる世界の本当の姿なのだ。

駅に着いた。見慣れた街の駅はたくさんの照明に照らされて、夜の闇も霞んでいた。どこか安心感を感じながら、家路につく。

夜の闇は恐ろしくて、そこに放り出されたら今はきっと動けなくなるだろうけれど、同時にその闇を懐かしく思う私がいる。夜の林に家族と入って、カブトムシを探した子どもの頃。線香花火を見つめた夜。夏祭りの広場だって、そこを出ると暗闇と生暖かい風そして虫の声とがあった。あの林の闇は今もそこにある。

時は前後して、今日は本屋を訪れた。個人で経営されている本屋さん。

扉を開けるとそこには世界が広がっていた。中は思ったよりも広くて、様々な形の棚に、様々なジャンルの本が並べられていた。「ああ、ここは好きだ」入ってすぐにそう思った。近くにあったなら足繁く通ったと思う。

イメージとしては『スキマワラシ』かな。

私は本が好きだ。本屋さんに行くのも好きだし、図書館を見て回るのも好き。

今日訪れた本屋さんは新しい本も古い本も様々に並べてあった。古い本というのも好きなのだ。その時代にその本を書いた人、出版に携わった人、お店に並べた人、それを読んだ人。そして今ここにある本。確かにその本が生まれた時代があって、新しい本として読まれた時代があって、その時代に生きた人がいる。その足跡を垣間見ているようで、本の、或いはその時代の、そして人の息遣いを感じるようで。時代を経て今ここに私の目の前にあるということが嬉しくなる。

私もそうやって手渡していく人になりたい。

2025/9/21「移動の日」しずかなインターネットより

日記,エッセイ

花を買う
花を買う

久しぶりに何も予定がない週末を過ごす。

朝から本屋へ。今日は本を買おうと決めていたから気合を入れて歩き回る。6冊の本を抱えて、7冊目の本を手に取ったところで、ふっと我に返る。結局6冊買った。せっかく街に出たから美味しいコーヒー豆も手に入れた。明日から大事に飲もう。

午後からもまたふらっと外に出かけた。インスタで偶々見つけたイベントを覗いてみる。そこからカフェに行き、アイスコーヒーとショートケーキを頼む。いつもは人でいっぱいのカフェだけど、今日は良い感じに空いていたのでゆったりと過ごすことができた。

それから花屋に立ち寄る。立ち寄るなんてさらっと書いたけれど、勇気をかき集めてと言った方が近いかもしれない。

花瓶と花を買うのだ。勇気をかき集めて恐る恐る扉を開く。花瓶も持っていない私が入って果たして大丈夫だろうか?

家に花を飾るというのにずっと憧れている。花を飾るには花瓶が必要だ。でも花瓶を買うのって難しい。どんな大きさがいいのか、色は?質感は?デザインは好きか?あれこれ考えてはいつも買えないでいた。でもそれも今日で終わりだ。最近心がけていることとして「悩んだらやる」というのがある。考えたり調べたりするのが好きだから、いつまでも本丸の周りをグルグルとまわることができる。それも好きだけど、限りある人生で悩んでいるだけなのはもったいないなとようやく思うようになったのだ。やってみて分かることもあるということで、今日は花瓶を買う。

店内に入ると小さな花束がいくつも並べられている。どれも素敵。花も欲しいけれど、今日はまず花瓶を確保しなくては。小さな店内を見回すと花瓶がいくつか並べられていた。また勇気をかき集めてお店の人に花を飾りたくて花瓶も探していることを伝えてみたら、飾りやすいおすすめの花瓶をいくつか教えてくれた。「ああ、これで花瓶が買える」心に湧き上がってきたのは安堵だった。おすすめされた花瓶の中から一番ピンと来たものを選ぶ。次は花束だ。青にオレンジに黄色にピンク。迷ったけれどピンクの花束にした。店員さんにお礼を言って店を後にする。

家に帰って早速花を飾ってみる。

何だろう。この安心感は。無機物ばかりの家の中に花がそっとあるだけで、心が落ち着く。そしてこれで、いつでも花が買えるようになった。

なんだか自分がレベルアップした気がする。

2025/9/13「花を買う」しずかなインターネットより

日記,エッセイ

オムレツ
オムレツ

どうしても食べたくなって久しぶりに作った。
毎日自炊をしているのに、ほとんど作ったことがなかった。
玉ねぎを透き通るまで炒めて、ひき肉を加えてさらに炒めて、別の器に移して、卵を溶いて、具を戻して混ぜて、フライパンでさっと作るだけ。
味付けは塩と胡椒を少し、トマトソースの代わりにオリーブオイルをかける。驚くほど簡単で、美味しい。オムレツの形にはならなかったけれど、そんなことは気にならない。

こういうのでいいなと思った。凝った料理を作るのは私にはハードルが高い。
代わりにこういうシンプルな料理をもう少し身につけたい。
明日も食べられると思うと、それだけで明日が楽しみになる。小さな楽しみをこうやって愛していく。

2025/7/29「オムレツ」しずかなインターネットより

日記,エッセイ

単焦点レンズ
単焦点レンズ

人のカメラを2日間使わせてもらう機会があった。「はい、これで撮ってね」と渡されて、丸々2日、そのカメラは私の手元にあった。ズームができないなと思ったら、単焦点レンズで、その味わい深いフレームがしみじみと良かった。せっかくだからとあれこれ撮っておく。持ち主よ、見返して驚くが良い。いたずら心も交えながらそのカメラとの2日間を楽しんだ。

それからそのカメラを何度も思い返している。作っていたメーカーがなくなったとかで、今ではもう入手ができないらしい。以前、一緒に調べたから確かだ。

その昔、私もカメラを持っていた。正確には今も実家にある。もう何年も使っていないカメラ。もう一度持ち歩いたなら、私はどんな写真を撮るだろう。

次の誕生日にはカメラを買おうか。もう何年も自分への誕生日プレゼントを買っていない気がする。数年分の誕生日プレゼントとして、一台のカメラを買うのも良いかもしれない。その時は単焦点レンズも欲しいな。

2025/7/22「単焦点レンズ」しずかなインターネットより

エッセイ

京都・奈良旅行記
京都・奈良旅行記
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古賀史健『さみしい夜のページをめくれ』を読んだ
古賀史健『さみしい夜のページをめくれ』を読んだ

ぼくだってぼくを選びなおすことは、できるはずだ

見つけたら買おうと思っていた本。散歩の途中で立ち寄った書店で見つけて購入した。

『さみしい夜にはペンを持て』お気に入りの本の一つだ。2冊目ということで、どうだろうかと思ったけれど、そんなこと思う必要はなかった。1冊目と同じくらい、いやそれ以上に好きな1冊かもしれない。スルスルと本の中に入り込み、読み終わった時、深く潜水していた海の中から浮上した気分になった。そっか、やっぱりそれで良かったんだと勇気づけられた。

もう一つ、中学高校時代の私がそこにいた。あの頃の私がこの本を読むことができたならば、何を思っただろうか。

「そうだ。自分から読みに行って、書かれた文字を頼りに、自分の頭のなかで世界をつくり上げていく。だれの助けも借りず、たったひとりでね。それが読書のおもしろいところであり、むずかしいところだ。本を渡すことはできるけれど、読書を渡すことはできない。(p171)

「学びってのは、学ぶ側が『選ぶもの』なんだよ。だからさっき言ってたイカリってお兄ちゃんの態度はまったく正しい。だれに学ぶか、なにを学ぶか。それを選ぶのは、アンタたちなんだよ」(p293)

「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん、そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは」『正義と微笑』太宰治(新潮文庫『パンドラの函』収録)

2025/5/4「古賀史健『さみしい夜のページをめくれ』を読んだ」しずかなインターネットより

日記,エッセイ

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